苦渋の選択。離農か継続かに揺れた道内農業者の苦悩は 苦渋の決断 “別れ” 詩に 根室市の成田昭一さん 牛飼い人生に幕 設備更新目前 北海道地震停電引き金

「バケツの音が消えた 牛のなき声が消えたミルカーの音が消えた バルククーラーの音が消えた『生産の音』全てが消えた 静寂……寂……涙…涙…。」

 

北海道地震から6日で2カ月。強い揺れによる被害や大規模停電をきっかけに、離農した農家たちがいる。

 

自然災害が相次ぐ中で大規模化が進む北海道の農家にとって、投資をして再建する道も、離農する道も重く苦渋の選択となる。

 

半生をささげた牛や農地、支えてくれた地域の仲間に、感謝の詩で別れを告げた。

 

根室市の酪農家、成田昭一さん(77)は10月、牛全頭を売り、離農した。

 

北海道地震で道内全域が大規模停電となったのがきっかけ。搾乳ができなかった数日間

 

牛舎外に漏れる牛の悲鳴のような声が切なかった。生乳廃棄を余儀なくされた最中に

 

息子で後継者の大さん(47)が「この際、整理しようか」と相談をしてきて、離農に至った。

 

妻の洋子さん(73)と大さんと酪農を営んできた昭一さん。祖父が明治時代に開拓し、大さんで4代目だった。

 

停電前までは牛120頭を飼養し、牧草地など100ヘクタールを所有していたが25年前に建築した牛舎や機械が更新時期に差し掛かっていた。

 

大規模化が進む酪農は、搾乳ロボットなど機械の高度化が進み、更新するには億単位の投資が必要となる。

 

莫大(ばくだい)な借金をして酪農を続けるのか、離農するのか。「地震は引き金。天災がいつあるか分からず

 

雇用の問題もある」と昭一さんは明かす。乳価や牛の価格が一時期に比べて堅調なことも後押しし、成田さんは悩み抜いた末に決断した。

 

大さんと1年間は残務整理をするが、今後の見通しはまだ立っていない。

 

成田さん夫妻は2人とも半世紀以上を牛と共に生きてきただけに、静まり返った牛舎に入ると込み上げる思いがある。

 

2人は「地域に支えられ、恵まれた牛飼い人生だった」と振り返る。

 

25歳の時、オーストラリアでホームステイをする事業に道東で初めて選出された昭一さん。

 

地域中の農家からはなむけを、根室農協(現在のJA道東あさひ)からカメラをもらい、出発時はみんなに見送ってもらった。

 

1975年、兵庫・淡路島で開かれた第6回ホルスタイン共進会には道代表として出場。

 

地域の人が交代で残る牛の搾乳を手伝ってくれた。洋子さんは、11トン車につけられた手作りの横断幕が今も脳裏に焼き付いているという。

 

40年前、成田さんの集落には20戸の酪農家がいたが、今は4戸になった。

 

搾乳ロボットやヘルパー制度の普及で酪農家の自由時間は増えつつあるが、最新鋭の牛舎に更新する農家や廃校や廃線が進む地域の状況を見ると、

 

昭一さんは「離農も借金も、酪農家は涙の選択を迫られている。企業化だけが追求される酪農で本当にいいのか」という思いが拭えない。

 

乳価の乱高下に苦しみながらも営農を続けてきた。今でも、両親の苦労する姿をよく覚えている。

 

それだけに牛を手放す時はつらかった。昭一さんは全頭を乗せたトラックに最敬礼し、男泣きしながら見送った。

 

今も搾乳する早朝に目が覚める。実家も酪農経営をしていた洋子さんは、外に出ることができず、窓から見送った。

 

昭一さんは今、地域と牛と家族に感謝する。離農時の思いを「音が消える」「静観」という詩にまとめて地域の人に送った。

 

読みやすいよう、慣れないパソコンのキーボードを一生懸命打った。「ありがとうの気持ちを込めた」と話し、牛のいない牛舎を見つめる。

厚真町の米農家も

 

北海道地震からの2カ月間で、離農を決断した農家は成田さんだけではない。最大震度7を記録した厚真町。

 

6ヘクタールで米を作っていた加賀谷俊昭さん(79)も離農する。

 

「地震で機械も納屋も壊れた。息子は会社員。迷いはないが、50年以上農業をしてきたので寂しい」と話す。

 

甚大な被害を受けたが、これからも生きていかなければならない。

 

加賀谷さんは今後も農業を営むと決めた人に「どうか頑張って農業を続けてほしい」と願っている。

 

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA